しんりのblog

思ってる事、好きな事、トライした事などなどを書きます。

平成と埼玉

さっき令和を迎えた。

この1ヶ月令和を掲げる菅さんをなんども見たけど、個人的には平成おじさんと呼ばれた小渕さんの方がしっくりくる。大学の合気道部の先輩で、ちょうど大学に入った年に小渕さんが亡くなったので、当時何度も映像を見て親近感を持ってたのかな。
f:id:shinri55:20190430215907j:plain

人生で2度目の時代の移り変わりだけど、平成の時は小学生2年ぐらいでニュースしかやってなくてつまんないなーと思ってた事ぐらいしか覚えていない。

話は変わるけど昨日「翔んで埼玉」を見た。
埼玉を愛を持ってディスってる映画で、羽生は出てこなかったけど知ってる場所が多数出てきて楽しめた。
エンディングではなわの「埼玉県のうた」が使われていて、アジア一の大きな団地が埼玉にあると歌ってたので調べたら松原団地の事だった。
www.tondesaitama.com

で今日ちょうど帰省で東武線に乗ったので、松原団地どこらへんだったかなと思って路線図を見たら存在しない!
いつの間にか獨協大学前という駅になっていた。変わってからも何回か通ったはずなのに気づいてなかったな。

改めて獨協大学前を通過すると何と団地が全然ない。
20年以上前だけどこの駅にある高校を受けて、松原団地に降りた時には団地だらけだったはず。
これも調べてみると15年ぐらい前から建て替えが始まってたらしい。
意識しないと気づかないもんだなー。

なんて考えながら電車が鷲宮駅に停まったら降りていた。
自分は25年以上前ここにある「わし宮団地」という団地に住んでいて平成もここで迎えた。

引っ越してから一度も来ていなかったが松原団地がなくなったのを見て、わし宮団地もそのうち無くなってしまうかもと思って思わず降りた。
わし宮団地は規模としては約2,500戸と松原団地の半分程度。
当時家賃は2万円ぐらいで家族4人で住んでいた。通っていた小学校も全員団地の住民だったので周りも裕福な家庭がない不思議な環境だった。

わし宮駅を降りてみると駅に併設していたスーパーが何もないスペースになっていた。
f:id:shinri55:20190501001022j:plain
更に歩いて団地まで行ってみると当時住んでた1-12-104はポストに蓋がしてあり誰も住んでなかった。
f:id:shinri55:20190501001257j:plain
この小さな扉を開けたとこを秘密兵器にしてたな。
f:id:shinri55:20190501001409j:plain
更に歩いて商店街に行くとほぼ閉店。何故かドラえもん激似の像が建っており太郎くんと書かれていた。
f:id:shinri55:20190501001557j:plain
そんな中でも子供のころ毎日行った「だるまや」は健在。当時の佇まいのままで、30年以上前遊んだお菓子を掴むクレーンゲームや10円を弾くゲームがそのままあったのは感動した。
f:id:shinri55:20190501001757j:plain
帰りに通っていた小学校の前を通ると廃墟と見間違う程古くなっており、廃校したのかと思いきや
f:id:shinri55:20190501001856j:plain
f:id:shinri55:20190501001935j:plain

調べてみるとまだ健在だった!
でも昭和50年代は1,000人ぐらいいた生徒が今は60人ぐらいで今年の新入生も5人しかいないらしい。

そういえば団地を歩いても、人とほとんど会わず特に子供とは全然会わなかった。
自分が住んでいた頃は外出すれば誰かしら友達と会うし、もっと人がたくさんいて活気があった。

少子化は何となく感じていたけど、ここまで実感を持って感じたのは初めてだったな。
今後の日本を考えると少し怖くなったけど、昭和から平成への移り変わりを思い出してノスタルジックに浸った平成最後の一日。